「日本の暦って、昔は今とちがったの?」と気になったことはありませんか。
実は、いま私たちが使っているカレンダーは、昔からずっと同じだったわけではありません。
日本の暦は、長い時間をかけて作りかえられ、今の形に落ち着きました。
ざっくり言うと、昔の日本は月の動きと太陽の動きを組み合わせた暦を使い、明治時代にいまの太陽暦へ切りかわりました。
だから、日本の暦の歴史を知ると、「旧暦」「和暦」「西暦」がどう違うのかも見えやすくなります。
昔の日本で使われていたのは、月をもとにした暦
日本で長く使われていたのは、太陰太陽暦(たいいんたいようれき)と呼ばれる暦です。
少し難しそうですが、かんたんに言うと「月の満ち欠けを土台にしつつ、季節がずれないように太陽も考える暦」です。
この暦では、1か月は新月から次の新月までの約29日か30日でした。
ただし月の動きだけで数えると、季節と少しずつズレていきます。
そこで、数年に1回うるう月を入れて、春は春、夏は夏になるよう調整していたのです。
明治に大きく変わった、今のカレンダーへの切りかわり
大きな転機は明治時代です。
明治5年に、政府は太陽暦を採用しました。
これが、私たちがいま使っている1年365日を基本にする暦です。
月の長さではなく、地球が太陽のまわりを1周する時間を基準にしているので、季節と日付のズレが起きにくいのが特徴です。
この切りかわりは、日本の生活を西洋の国々に合わせる意味もありました。
いきなり制度を変えるのは大変ですが、暦が変わると祝日やお給料、学校や役所の動きにも関係してきます。
だから、単なるカレンダー変更というより、社会のしくみをまとめて整える出来事だったともいえます。
今でも残る和暦は、暮らしの中でどう使われている?
暦が変わったあとも、和暦(元号)は残りました。
和暦は、「令和」「平成」のように、その時代につける名前のことです。
西暦が年数をまっすぐ数えるのに対して、和暦は時代の区切りを表すので、日本らしさを感じる場面も多いですね。
たとえば、役所の書類や年号の表記、元号が入った記念品などで見かけることがあります。
ふだんは西暦を使っていても、「令和◯年」と書かれると、少しあらたまった印象になります。
ここで面白いのは、同じ日本でも場面によって西暦と和暦を使い分けていることです。
身近な例で見ると、旧暦の名残は意外と多い
日本の暦の歴史は、昔話の中だけではありません。
たとえば、七夕やお盆、節分のような行事には、旧暦の考え方が影響しているものがあります。
いま私たちが感じる季節感と、行事の時期が少しずれて見えることがあるのは、その名残のひとつです。
また、旧暦の正月は、今の1月1日とは同じではありませんでした。
月のめぐりに合わせるので、年によって日付の感じ方が変わります。
昔の人にとっては、カレンダーを見ることがそのまま季節の変化を読むことにつながっていたわけです。
ちょっと意外な話: 「2月30日」はなぜないの?
暦の話でよくある小ネタが、「どうして2月は短いの?」という疑問です。
これはローマ暦の名残が大きく、日本だけの話ではありません。
いまの太陽暦は、世界で広く使われる仕組みをもとにしているので、月ごとの日数には少し不ぞろいがあります。
つまり、2月が短いのは日本の都合というより、世界共通の暦の歴史の積み重ねです。
日本の暦の歴史をたどると、外国から入ってきた考え方をそのまま使うだけでなく、日本の行事や元号と組み合わせながら独自に使いこなしてきたことが見えてきます。
日本の暦の歴史を、3つにしぼって覚えるなら
- 昔の日本は、月と太陽を組み合わせた太陰太陽暦を使っていた。
- 明治時代に太陽暦へ切りかわり、今のカレンダーが定着した。
- 和暦や旧暦の名残は、今も行事や書類の中に生きている。
日本の暦の歴史は、ただ古い制度がなくなった話ではありません。
月を見て季節を感じていた時代から、世界標準の暦を使う時代へと変わりつつ、日本らしい元号や行事も残してきた歴史です。
カレンダーを何気なく見るときも、「この日付の決まり方には、こんな長い歴史があるんだ」と思うと、少しだけ見え方が変わるかもしれません。